プロフィール

自分

初めましてreireiです。

歯科クリニックの受付で働くあら還?のバツイチシングルマザーです。
気が付けばもうシングルマザーになって10年が経ちました。

趣味は
・文鳥を育てること
・お菓子作り
・お裁縫
・韓ドラ
「自分では歳だから」と言うのが好きではなく、まだまだチャレンジできる!と興味を持ったものに関しては諦めずチャレンジすることが好きなふたご座のO型女性です。

幸せの絶頂期

公務員の家庭に育ち、贅沢はしないまでも特に不自由なく暮らしてきました。
短大を卒業後、学んだ英語を生かした仕事がしたくて成田空港で約5年、丸の内で2年半ほど仕事をしてました。

最後の約二年半は本社人事課勤務となり丸の内OLを楽しんでました。
そして当時では理想の結婚スタイルでもある「寿退職」をしました。
「寿退職」なんて今ではもう死語となってますね。
結婚=ゴールみたいな・・・。
今は「夫婦共働き」が当たり前の時代ですからね。

立派に?結婚式も挙げ、長男、長女、二女の三人の子供達も生まれ、消費税ができる前にマイホームも購入し、離婚なんて無縁の人生でした。
特にお金があったわけではありませんが、10年間子育て一色の専業主婦をさせてもらってました。
「亭主元気で留守がいい」
専業主婦のママ友達と家でお茶を飲みながら子供同士は仲良く遊んで過ごす日々を送ってました。
順風満帆な暮らしぶりでした。
平凡だけどほんと幸せでした。

私の子育ては文武両道。
とりあえず勉強も運動も偏ることなく習わせて、あとは子供達がやりたい道を選びそれを応援できたら良いなと思いながら無我夢中で子育てしてました。

私も今よりずっとパワフルだったので、学校の役員も6年間もやり、最後にはPTAの副会長として活躍し感謝状までいただくほど子供と共に学校生活を楽しく送ってきました。
朝の挨拶当番、夏休みに学校の花壇の水やり、防犯パトロール、行事の参加、町の教育の日の参加・・・。

自分で自分を褒めたいくらい頑張ってました。

子供達も「ママよく学校に来てたから嬉しかった」って言ってくれてたのが頑張れる源だったのかもしれません。

小学生までの子育ては悔いなしです。(自己満足ですね)

そして30代半ばに人生が一転・・・・

でも長い人生何が起こるかわからないものですね、
40代で人生転落しました。

神様は私に試練を与えました。

30代半ばくらいから人生一転していろいろなことがありました。(これは転落人生ではありませんが・・・。)

待望の三番目の二女を産んだのは私が36歳の時。
なかなか逆子が治らず帝王切開で出産。

生まれてきた二女は「原発性リンパ浮腫という病気でした。
それが原因で逆子が治らなかったかどうかはわかりませんが、
両足のひざ下から足の甲までリンパ浮腫があり、いまだに治療法も無い為むくんだままです。

初めて聞く病名にすぐ反応できず、そのまま大きな病院のNICUへ救急車で搬送されてしまいました。
詳細は他のブログ記事に書きましたので、良かったら読んでみてください。

その頃はショックで一番心の支えになる夫と共に励ましあって生きてきました。
障害のある子を育てていく覚悟ができてないままどうしたいのか気持ちが追い付かなくて、一年くらい引きこもりの生活でした。

そして離婚・・・

まさか自分が離婚をするなんて・・・・。
自分の口から「私バツイチなんです」「母子家庭なんです」なんて言わなきゃいけない時が来るなんて・・・。

今までの頑張ってきたから絶対そんな言葉言いたくなかったんです。
なんか変なプライドもあって・・・・。
器が小さかったんでしょうね。

離婚の理由は信じていた夫が結婚した当初から貯金を使い続けていたことが発覚したことでした。

何と子供の教育費として貯めていた口座の残高は2,000円でした。
すでに前科ありで・・・・。
その前にも二度ほどカードローンも発覚し、私が払いました。

その時に「もうしないで」とお願いしたのに、それよりも前から使いこんでたことが分かったときには「もうこの人と一緒にいる価値はんてない」と思ってしまいました。

不信感を持ったら常に疑うことが先行してしまう。そんな自分も嫌でした。

三度目の使い込みが一番高額だったことと結婚した時から隠して来たことがもう信用できず限界でした。
ずっと嘘ついてたんだ・・・。

それを知ったのはなんとあの東日本大震災でした

我が家には震災が二度来たようなものでした。

その日の午前中に夫の使い込みが発覚し、午後からは長男の中学の進路説明会。心ここにあらず状態で息子の進路説明会に出席してました。

これから先お金もなくてどうやって進学させたらいいのか・・・・。
絶望的でした。

そんな中、突然ゴゴゴゴゴゴって地鳴りがして・・・・。
脇のプールの水はすごい波打ってて・・・。
体育館の壁は剥がれ落ち始め・・・。
ただならぬ事態にこれ「現実なの?」って訳わからなくなってました。

「何でこんなことが一度に起こるのか」

自分の気持ちをどこにぶつけたらいいのかもう頭の中がぐちゃぐちゃになってました。
人生で一番どん底の日。

でも凹んでる場合ではありませんでした。
頻繁におこる余震。ガソリン、食料確保の情報に耳を傾けあっちこっち走り回り、落ち込む暇もないくらいバタバタでした。

追及する間もなく夫は職場の復旧作業という理由で震災の日から帰宅せずそのまま別居となってしまいました。

私はこれからこんな状態で三人の子供達をどうやって育てていけばいいのかショックで涙も出ませんでした。

中学三年、二年、小学一年の子供達になんて言えばいいのか・・・・。
家じゅうぐちゃぐちゃになった状態、私の心の中も整理がつかないくらいぐちゃぐちゃでした。
今思えば聞いては来なかったけど、子供達は私の様子がおかしかったことは気づいてたのかもしれません。

とにかくお金を作らなきゃ、真っ先にそう思い何を血迷ったのかとりあえず自分の持っている貴金属を売りに行きました。
いくらにもならないのに・・・
今思えば馬鹿だなって思ってます。
33,000円にしかなりませんでした。苦笑

私がこの子達を育てていかなきゃと必死だったんでしょう。
少しでもお金が欲しくて・・・・。

長男と長女には全部ではありませんが正直に話しました。
まだまだそんなことを話しても理解できる年齢ではなかったけど、共に同じ方向を励ましあって進むには言った方がいいと思い・・・・。

子供なりに受け止めて助け合って行くしかないと4人で気持ちを一つにして前だけ見て歩いてきました。

辛かったからがんばれたのか子供達はそれぞれ得意なフィールドで頑張って私に元気をくれました。

別居してる頃、私は誰にも会いたくなくて誘われても理由をつけて断ってばかりでした。
ほんとに辛かった。惨めだった。悔しかった。これが素直な気持ちでした。
お正月に届く友人からの幸せなメッセージの入った年賀状を読むのも辛かった。

約一年の別居を経て話し合いでやっと離婚が成立。
長かった。やっと終わった・・・。
離婚届に判を押し、相談に乗ってもらってた仲のよい友人夫婦に連名もしていただき町役場へ・・・・。

将来のことを考えると不安だらけなのになぜか清々しい気持ちでした。
時間が経つと悪い事は忘れていくものなのでしょうか、良い事を思い出すことの方が多いんですよね・・・・。
さあスタートだ!
負けてられないと・・・。

次のステップへ・・・・。
私も派遣では子供達を養えないから正社員で働かないとと転職をしました。

近くに住んでいる実家の両親は、私が正社員で働くので今まで以上に子供達の面倒もたくさん見てくれました。
感謝しきれません。親がいなかったらできなかったことでしたから・・・・。
年老いた親に親孝行もできず苦労ばかりで・・・・。
ほんとにごめんなさい。

45歳で初めて踏み込んだ転職先は医療の世界。それも歯科。
歯の治療の流れも専門用語も知らない、カルテも読めない、
そんな私をなぜ先生は採用してくれたのか・・・。

たまたま求人しても応募がなかっただけだったみたいですが・・・苦笑
「このチャンスを生かさないわけにはいかない」と気持ちを奮い立たせて働きました。

当時職場では、
「なんでこんな何も知らないおばさんが採用されたの?」って思われてました。
そりゃそうですよね、ごみと一緒ですよ。ほんとに要らないわ。
自分でもそう思ってました。
わからないことがわからないのですから。

でも必死でした。私は子供を育てなくてはならないから・・・・。
いじめにもあいました。辞める方の後任で入ったにもかかわらず有休消化でほとんど休んでいて仕事も教えてもらえずほんとに毎日辛い日々でした。

でも「母が弱音を吐いてる場合ではない、子供達も頑張ってるのだから。私がしっかりしなくては」と思いながら、仕事でいじめられて悔しくても子供達の前では絶対泣いてはいけないと自分に言い聞かせてました。

泣きたい時は帰りの車の中で泣いて、家に帰ったらひたすら家事をしながらYouTubeで歯科治療の動画を観て勉強しました。

教えてもらえないなら独学すればいい。

そんな職場もいろいろありましたが、10年も居座ってます。
今は笑いもたくさんあり、人も変わって人間関係も良くなりました。

でもその10年の間にさらなる悲劇が・・・・。

円満に離婚をし、元夫は子供達のことを考え転校をしなくてもいいようにこのまま今の家に住んでも良いと言ってくれ、元夫だけが自分の実家へ引っ越しました。

自分のせいで子供達に悲しい思いをさせてしまったから光熱費も払ってくれてました。

散々何百万もお金を使ったのだからそれくらいさせてもらっても罰は当たらないでしょと思いながら暮らしてたのですが、ある日突然電気がつかなくなり、慌てて電力会社に問い合わせたら、電気料金の支払いが滞っているので電気を止めさせていただきましたと。

元夫に伝え急いで振り込んでもらい、電気は復旧しましたが、お金が払えなくて電気を止められた事がショックでその時は声を上げて泣いてしてしまいました。

何とそんなことが二度もあり・・・・。
もう情けなくてあの時こそ死にたくなりました。
惨めで・・・。

平凡でいいから最低限の生活はしたいと願うばかり。
何となくそのころから元夫のお金のことも不安になり、
先々ちゃんと養育費も払ってくれるのだろうかと考えるだけで眠れなくなります。

それから半年後、

さらなる悲劇が・・・・。
ポストに公的な硬い文書の書類が入っていて・・・・。

なんか嫌な予感・・・・。

それは家の差し押さえの通知でした。
半年までにこの家を出ていかなければならない旨の内容でした。

ご近所さんになんて言えばいいの?
みっともないのと情けないのとこんな親でほんとに申し訳ない気持ちとで子供達に土下座したい気持ちでした。
思い出がたくさん詰まったこの家がなくなる・・・・。
なんとも信じがたい事実・・・・。

ずっとローンも払ってきたのに・・・・。

現実を受け止めて引っ越し先を探して引っ越さなくては・・・・。
毎日毎日アパマン情報をチェックしコスパのいいところを探しまくりました。
12月から2か月間欠かさずチェックし、何か所か見学も行ったけど条件がクリアできなくて・・・・。
退去の日までに決めなくては・・・・。
刻々と迫ってくる退去の日。

そんな中ご縁あって古民家みたいなマンションだけどリフォームムされている築35年の駅近3LDKのマンションにに引っ越すことができ、今は女三人で暮らしてます。
長男は都内に就職したので引っ越しを機に家を出ました。

引っ越し貧乏になり、また再スタートです。

辛い事ばかりじゃない、良いこともあるはずと前だけを見て・・・。
心機一転ここで頑張る!

ハラハラした人生にもずいぶん慣れました。
壁にぶつかってはなんとか乗り越え、今もたまに養育費振り込まれてません。
ギャンブル癖もあったのでお金ないんでしょうね。
もう追及するのも面倒になりました。

離婚して10年、少しずつ変わっていく家族の姿にそろそろ私も老後のことも考えねばと・・・・。

人生いろいろありましたね・・・・。

ここまで辛い事もたくさん経験しました。
決して嫌なことばかりではなかったし、私もよく頑張った!とたまに自分を褒めたりしてます。

結婚もしました。
子供も産みました(自然分娩も帝王切開も経験し、元気な子も障害のある子も育て、まじめな子も反抗する子も育てた欲張りさんです)
離婚もしました。

苦労を共にした長男は27歳、長女は26歳、二女は20歳になりました。
一人で生きて行くことの不安はありますが頑張らねば。
身体の健康と認知症にならなように脳トレの意味でもブログをはじめました。
ちょっと前にアメブロで1700件ほど日記のような忘れたくない出来事のブログを書いてました。
今回久しぶりのブログになんだか初々しさを感じます。
このブログはアメブロの時とは違い、記事を公開し、少しでも読んでいただける方が安らいだり為になったりするようなブログにしたいと思ってます。
ここまで時間を使って読んでいただき本当にありがとうございます。

おまけ

そして、なんと我が家には文鳥が今現在(大きな声では言いにくいのですが)14羽おります。
大家族です。
毎朝森の中にいるようです。小鳥のさえずりで目が覚めます(笑)
子供が大きくなって手がかからなくなり、今となっては我が家の文鳥達が私の生きがいのひとつになってます。

私は小さいころから動物が好きで流石に犬猫は維持費がかかるので今は飼えませんが、小鳥なら飼えるかもと思い子供のころに飼っていた文鳥を飼い始めました。
今では卵が孵化し14羽の大家族です。

14羽とも同じ愛情です。ほんとに可愛いです。
みんな個性があっていろんなしぐさに癒されてます。

これからもこのブログでいろんなことを発信できたら良いなと思っております。

こんな貧乏暇なしのおばさんですが、末永くよろしくお願いいたします。
役立つブログではないかもしれませんがまた遊びに来てください。

 

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